香川県建設業協会 創立70周年記念誌
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バブル経済と崩壊 県内では「三大プロジェクト」である瀬戸大橋、新高松空港、四国横断自動車道の整備が進められた。これらは、県内の経済・産業に大きな影響を与え、大手企業が進出し、地元企業も活気づいた。建設業界もこのビッグプロジェクトに支えられて、大型工事の下請けとしての参入や関連道路および周辺整備工事によって、大きな恩恵を受けた。建設会社や建設業に携わる労働者数も大幅に増加した。 1980年代後半から1990年代初頭にかけて、日本経済は後に「バブル景気」と言われる好景気だった。土地価格は高騰し、日経平均株価は1989(平成元)年12月29日の大納会には、史上最高値38,957円44銭を付けるなど、資産価格のバブル化が起こっていた。 建設業界はこのバブル景気に翻弄された。至るところで計画が持ち上がり、交通事情が悪いところでもゴルフ場、リゾートホテル、マンションが一斉に着工していった。空前の建設ラッシュで、大型工事も突貫工事で行われた。建築資材の高騰、入手難、人手不足で現場は工程管理に苦労した。 好景気はいつまでも続かず、膨らんだ風船が爆発して一気にしぼむように崩壊した。建設途中のホテルやマンションは買い手が付かずそのまま放置され、バブルに踊らされて誤った経営判断をした会社は、経営に行き詰まり倒産していった。バブルの崩壊により、1973(昭和48)年から続いていた安定成長期は終わりを告げた。 1994(平成6)年、香川県は深刻な水不足に見舞われた。早明浦ダムからの取水制限は128日間に及び、水道用水の給水制限は、5市16町が断水、7町が減圧給水となった。建設業界でも、水道工事はもちろんのこと、下水道・一般土木工事などの地下水をくみ上げる工事は中断し、その他の工事も自粛することになった。そのため、11月以降から年度末にかけて工事が集中し、工期が遅れる原因になった。 協会は四国地方建設局の要請を受けて、20日間にわたり大型給水車7台で高松市内の給水業務にあたった。高松支部は、高松市建設業協会と協力して「給水救援対策本部」を設置し、会員各社から軽四、2t、4t車両を100台提供してもらい、給水所などへ水を運んだ。他の支部でも、水の運搬支援や「善意の水」として井戸を開放するなどの支援活動を行った。讃岐砂漠(1994年の渇水)瀬戸大橋給水業務支援活動香川県建設業協会 創立70周年記念誌132

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